【茶器/茶道具 香合】 萩焼き 猿ぼぼ(申) 坂田泥華作

香合 萩焼き 猿ぼぼ(申) 坂田泥華作

香合 萩焼き 猿ぼぼ(申) 坂田泥華作


猿ぼぼ
飛騨高山など岐阜県飛騨地方で昔から作られる人形。
飛騨弁では、赤ちゃんのことを「ぼぼ」と言い、「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」の意。
近年では、土産として飛騨地方の観光地で多く見られる。

いろいろな説がありますが、
赤い布で作られた人形で、天然痘(てんねんとう)などが万延した時代に、病気災いから守ってくれるお守りとして作られた。 それが猿の赤ちゃんのように見えたことから猿の赤ちゃん(猿ぼぼ)といわれ、猿は「去る」と書き「災いが去る(猿)」「疫病が去る(猿)」ことからも、安全を祈願した。
また、農作業をしている時に、そばで寝ていた赤ちゃんが田んぼの溝に落ちそうになったところ、猿が助けた。
その感謝の意味を込めて家族が猿ぼぼ人形を作って持つようになったとい説もあります。

坂田家は萩焼の 始祖である李勺光(りしゃくこう)の流れをくむ家柄で、深川萩四家の一つ
(深川萩四家 とは現在、坂田泥華窯の他、坂倉新兵衛窯、田原陶兵衛窯、新庄助右衛門窯の四窯元 がある)
【初代 李勺光】
【2代 山村新兵衛光政 生年不詳~1658年明暦4年】
【3代 山村平四郎光俊 生年不詳~1709年宝永6年】
【4代 山村弥兵衛光信 生年不詳~1724年享保9年】
【5代 山村源次郎光長 生年不詳~1760年宝暦10年】
【6代 坂倉藤左衛門 生年不詳~1770年明和7年】
【7代 坂倉五郎左衛門 生年不詳~1792年寛政4年】
【8代 坂田善兵衛 生年不詳~1805年文化2年】
【9代 坂田甚吉 生年不詳~1818年文化15年】
【10代 坂田要四郎 生年不詳~1886年明治19年】
【11代 坂田鈍作 生年不詳~1916年大正5年】
【12代 坂田泥華(本名:浩三) 生年不詳~1934年昭和9年】
【13代 坂田泥華(14代 泥珠 同一人物)(本名:一平)】
(泥華井戸には、おおらかで特有の轆轤造形がある。他には焼成時に釉薬を剥ぎ取る事により御本風の柔らかい斑文を表現した剥離釉等、新技法にも取り組んだ。)
1915年大正04年 12代 泥華(本名:浩三)の長男で山口県生
1933年昭和08年 山口県立萩商業学校を卒業。父・12代泥華に師事作陶。伝統の家法を習得
1950年昭和25年 13代 坂田泥華を襲名
1962年昭和37年 頃より加藤土師萌の指導を受ける
1964年昭和39年 日本工芸会正会員となる
1965年昭和40年 山口県芸術文化振興奨励賞を受賞
1968年昭和43年 山口県美術展審査員を委嘱
1970年昭和45年 中国文化賞を受賞
1972年昭和47年 山口県指定無形文化財に認定
 名古屋オリエンタル中村個展の出品作品が宮内庁に買い上げ
1974年昭和49年 迎賓館に水指を納入。山口県選奨(芸術文化功労)を受賞
1975年昭和50年 東京三越個展の出品作品が宮内庁に買い上げ
1976年昭和51年 日本工芸会理事に就任
1981年昭和56年 紫綬褒章を受章
1987年昭和62年 勲四等旭日小綬章を受章
2004年平成16年 長男・慶造が早世したために15代坂田泥華を追贈し、自らは14代天耳庵:坂田泥珠と号す
2010年平成22年2月24日肺炎で死去、94歳没
 

サイズ 約直径4.3×高5.4cm
作者 坂田泥華作(13代深川本窯)
木箱
   (野吉丸好日・49800)