【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 薩摩焼き 菊に鶴 一華の字而妙斎(写し) 橋本陶正山作 

薩摩焼き 菊に鶴 一華の字而妙斎(写し) 橋本陶正山作

薩摩焼き 菊に鶴 一華の字而妙斎(写し) 橋本陶正山作


・・・・・<参考資料>・・・・・
●【薩摩焼】薩摩焼について
※薩摩焼は、桃山末期の文禄・慶長の役(一五九二~一五九八)で朝鮮出兵した薩摩藩主島津義弘公が帰陣の際、同道した朝鮮の陶工達に領内数ヶ所に窯を築いて陶器を焼かせたことから始まっています。
一、初期は高麗陶の要素が強く反映しましたがその後藩主の庇護のもと、白色陶土に雅びな色絵金彩を施した白薩摩焼は幕府への献上品や藩主の御用窯として発展し、他方有色陶土に色釉を施した黒薩摩焼は、素朴、剛健な風合いで民陶として今日に至っています。
一、象牙色の肌に細かいひび釉(貫入)の入った白薩摩は江戸末期になると京焼の影響を受けながらも優雅繊細な独自の錦手となり、自藩で産出する金をふんだんに用いた金襴手上絵が主流になり現在に引き継がれています。
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磯お庭焼きの歴史
薩摩焼は、島津家十七代・島津義弘が、朝鮮出兵の際、連れ帰った陶工たちによって始められたものです。その中でも優れた陶工・金海は、城下に招かれ宇都宮窯を築きました。これが島津家のお庭焼きの最初であります。その後二十八代・斉彬が磯邸内に窯を築かせました。これが磯お庭焼きです。
安政:2年(1855年)島津斉彬が磯邸内に磯窯を開く
安政:4年(1857年) 苗代川の朴正官が磯御庭窯を指導する

【橋本陶正山】 橋本陶正山窯(摩焼窯元)
明治26年 (正蔵)佐賀県鹿島市に生まれる
明治39年 有田焼久保山・陶芸家:鶴田藤吉に師事
大正09年 鹿児島市宇都宮製陶所に招聘され、同年、横石窯ほかで、薩摩焼を修業
昭和04年 橋本陶正山窯創立、橋本正蔵(号正山)が、鹿児島市に創立した。
昭和23年 薩摩陶器株式会社設立
昭和46年 勲五等瑞宝章受章
 以後、各地百貨店で個展を開催
昭和55年 米寿記念親子二代展開催
昭和60年 初代、陶正山正藏逝く、2代目、睦男、陶正山を襲名
・・・・・<特記述>・・・・・
昭和10年 陸軍特別大演習地方行幸において、御賜餐用徳利、展覧品彫刻謹製
昭和10年 表千家惺斎好み、菊唐草紋皆具、薩摩木瓜喰籠作陶
昭和12年 鹿児島県、および鹿児島市、指定工場研究費交付去る
昭和50年 表千家九州大会(鹿児島)・昭和52年表千家全国大会(高松)・昭和58年鹿児島市民文化ホール落成記念にて、家元ご献茶式に惺斎好皆具、ご使用
昭和52年~毎年全日本煎茶道連盟主宰、現代煎茶道具展、推薦出展
 白薩摩を主に 一にも二にも素地作り 白薩摩の生命である陶肌の温か味と上品な地肌の完成と、美しい造形。
妙味ある錦条と彩色の表現をめざし、茶道具を主に時代に即応した白薩摩の作陶に精進しております。

橋本陶正山:本名(橋本睦男)

サイズ 約直径10.2×高7.1cm
作者 橋本陶正山作
文字:而妙斎写し
木箱
   (礼輪中・220000)