街角情報
上市商店街絵地図
神恵院&観音寺(四国八十八ヶ所の不思議)
今から1300年ほど前、日証上人が琴弾宮の別当として創立し、大同年間(803)、弘法大師が当山7代住職の時、観音寺として改めました。
四国霊場88箇所のうち、琴弾宮68番、観音寺69番となりました。
明治初年、神仏分離で琴弾八幡宮の本地仏を西金同に移して神恵院68番としたため、四国唯一の1寺2霊場となっています。
琴弾公園
有明浜の白砂に描かれた銭形平次でおなじみの「寛永通宝」は、東西122m南北90m周囲345mもある巨大な砂絵で、琴弾山々頂から見るときれいな円形に見えます。一般には、寛永10年(1633)藩主、生駒高俊公を歓迎するために一夜にして作られたといわれ、他に類を見ないものといえます。この銭形を見ればお金に不自由しなくなるといわれ、多くの人がこの地を訪れています。
※1999年(平成11年)11月11日 日本の夕陽100選に選定されました。
金毘羅宮
金刀比羅宮の参道の石段は合わせて1,368段。木々に抱かれた山腹をぬうように遥々と続いている参道の周囲には灯籠や玉垣、鳥居などの見所が多く額に汗して上っていく参拝客の目を楽しませます。
チョウサ祭り
豊浜チョウサ祭り | 10月 第2日曜日を最終日とする3日間 |
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観音寺市チョウサ祭り | 10月 第3日曜日を最終日とする3日間 |
大鳥居から381段の石段を登ると本殿があり、いわれによると、大宝3年(703年)3月有明浜一帯に黒雲が立ちこめ3日間暗闇が続いた。
やがて、光を回復した海上に一艘の船が現れ、船中から琴の音がするので住民が近づくと、「われは八幡大菩薩なり」と答えた。
時の住職日証上人が船に証を求めたところ、海水であったところが竹林に、砂浜が蒼松の林に変わり、再び琴の音が響き渡った。
驚いた日証上人は、一生不犯の童男童女数百人を集めて、船を山上に引き上げ琴を添えて宝殿に安置し、琴弾八幡宮と称え奉ったそうである。
いまも、秋の大祭で「お稚児さん」として古事にのっとった祭事がおこなわれている。